
トーマス・エジソンはアメリカ合衆国の発明家、起業家です。
蓄音器、白熱電球、活動写真等、生涯におよそ1300もの発明をした発明王ですが、改良発明も多い様で、これまであったものに手を加え、実用的に改良、普及させています。
電信技士として、電信技術に関する特許発明を数多く生み出し
その発達にも大きく貢献しています。
その後も発明家として特許を申請し
特許売却の資金を基に研究所やいくつもの会社を設立しました。
トーマス・エジソンのADHDに関するエピソード(子供時代)
子供時代のエジソンは、異常なほどの知りたがり屋でした。
小学校では
「1+1はなぜ2なの? 」
「英語のA(エー)はなぜP(ピー)と言わないの?」
「なぜリンゴは赤いの?」
と、「なぜ」を連発して教師を困らせていました。
家でも「なぜ物は燃えるのか」を知りたくて
藁を燃やしていたら納屋に延焼して火事を起こしたり
ガチョウの卵を自分で孵化させようと何時間もガチョウ小屋の中で卵を抱いたりしていました。
これらの事件が積み重なり、エジソンは入学から3か月で退学処分となってしまいました。
その後エジソンは母に家で教育を受けますが
母は知りたがりのエジソンが納得するまで教え、知的好奇心を満たしていきました。
エジソンは、物理や化学は得意でしたが、数学は苦手だったようです。
トーマス・エジソンのADHDに関するエピソード(成人後)
エジソンの発明の元にあるのは
子供のころから「なぜ」の答えを求めて読み漁った科学書籍や多くの実験とそれらによる知識です。
改良発明が多いのも、基礎知識があるため、応用が利いたと考えられます。
人々の役に立つ発明をするために時間を忘れて実験に取り組み
失敗にも前向きで、あらゆる分野に取り組みました。
エジソンが専門的な事だけに興味を持っていたら、これほど多くの発明は成しえなかったでしょう。
エジソンがADHDだったのかもと言われたのは、
「なぜ」の連発や、様々な分野への好奇心などのエピソードからだと思われます。
そのエジソンの好奇心を納得するまで満たしくれた母親がいたからこそ
エジソンは発明王になり得たのかもしれませんね。